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小袖とは、今では、和服の長着のことをいう時に多く使う言葉ではありますが、元々は袖口が小さいという特徴からきた言葉で、これの意味は、
小さい袖口のこと、または、小さい袖口がある服のことを言ったりもし、
小袖の反対は、広袖(ひろそで。=大袖(おおそで) という袖もあります。
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- 小袖の歴史 -
今では、西宮記 と言われる書物が、確認できる日本で最初に 小袖
という言葉が出てきた書物であるといわれていますが、
この 西宮記 での小袖は、公家くじ(国につかえていた人たちのこと。)
が肌着として着た小袖とは別の物だといわれています。
- (※ 西宮記 とは、さいきゅうき 、さいぐうき、せいきゅうき などと読むもので、
- これは 源高明 という人が村上天皇のころの平安時代である10世紀に、この当時の公事(くじ)や朝儀や、臨時の儀式、作法や装束・制度などについて漢文で書いた 解説書のこと
で、別名で、西宮日記 や、西宮抄とも言われるもので、有職故実書ゆうそくこじつしょ についてですが、
- この有職ゆうそく とは朝廷や公家くじ の儀式や行事、作法、職などの知識 のことで、故実こじつ とは、昔の儀式や法制や作法などの決まりや習わし、先例のことをいい、古くは こしつ とも呼ばれたもので、この2つの言葉を合わせたのが、有職故実書ゆうそくこじつしょ という言葉になります。
- そして、朝儀ちょうぎ とは、朝廷が行う公式の儀式のことをいいます。)
ちなみに、平安時代の頃の公事くじ が 小袖 と言っていたものが、
今の時代の小袖 と同じ意味かは不明です
また、平安時代後期〜は、庶民の表着とされはじめましたが、
絵巻物では筒袖(つつそで)ではなく衽(おくみ)があったとされています。
平安時代の公家の肌着としての小袖に関しては、小袖 という言葉が
使われだしたのは、少なくとも平安時代の後期〜といわれていますが、
それ以前から、という説もあります。
公家が肌着として着た服と、盤領(あげくび)の服の2種類の服
とのどちらも、公家は 小袖 と呼んでいたのではないかといわれています。
盤領(あげくび)
袍(ほう)・襖(おう)のような盤領(まるえり) の形式で、
頸上(くびかみ) のひもを懸け合わせてとめるものをいいます。
→垂領(たりくび)
- 垂領(たりくび)
- 襟(えり)を肩から胸の左右に垂らし、引き合わせて着ることをいい、
- 直垂(ひたたれ)・素襖(すおう)などの方領(ほうりょう) はこの形式です。
- 水干(すいかん) は 盤領(まるえり) であるが、鎌倉時代のころから襟を折り込んで垂領に着る着用法が普通となりました。
公家がはじめに使い始めたのが、この小袖 という言葉ですが、使い始めた当初は、公家以外の人にとっては一般的ではありませんでした。
そして、平安時代後期に公家は、袖口が大きい服を 大袖 と呼び、
対して、袖口が小さい服を 小袖 と呼んでいました。
この 大袖と小袖は、袖の面積が広いか狭いかの特徴をとらえた言葉ではなく、袖口が大きいか小さいかという特徴をとらえた言葉だった。
たとえ現在の振袖(ふりそで) の袖のように面積が広い袖でも、
袖口の長さが20cmくらいであれば、袖口が小さいという特徴を持っている
といえるので、小袖であるとされました。
公家以外の人たちには、平安時代の後期〜鎌倉時代にかけて、
小袖 という言葉が少しずつ広まったのではないかといわれており、
平安時代の後期から、公家が、肌着として着ていた小袖に
華やかな色をつけるようになったとされています。
肌着なのに、なぜ華やかにしたかはいまだに不明ですが、
襟(えり) と首の間から肌着が少し見えるから、という説があります。
武士や庶民がすでに着ていた服は、公家が肌着として着ていた小袖と
形が似ていたといわれ、武士や庶民はすでに自分達が着ていた服を 小袖
と呼ぶようになっていったと推測されています。
また、室町時代後期〜江戸時代初期にかけて、裕福な庶民の間に、
少し変わった形状の袖を持つ絹の和服である 小袖 が流行りましたが、
これは平安時代や現在の小袖とも異なる特徴を持っていて、
初期小袖とよく誤解されるものでもあります。
長袖であるのにも関わらず、袖幅が肩幅の半分くらいに短くて、袖口も小さく、袖の下の輪郭が大きくふくらんでゆるやかなカーブを描いています。
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